こんにちは スマイリーです。
ブログ書く練習、1週間近くサボってました。
でも、昨日ミーティングで再びやる気スイッチ入ったので再開です。
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今日は何の日?(1日遅れだけど)
671年大友皇子が即位し第39代天皇・弘文天皇になる。
弘文天皇(648-672年)第39代天皇
在位672年1月9日(旧暦12月5日)~672年8月21日(旧暦7月23日)
弘文天皇いえば、お父さんは天智天皇。
中大兄皇子と言った方がいいかな。
大化の改新の中心人物で有名ですよね。
その第一皇子が弘文天皇(大友皇子)。
天皇とは認められているようだけど、実際に即位されたかどうかは不明な方ですよね。
天皇後継者が数少なくて、世襲なら間違いなく天皇だったはずなんですが。
力関係が影響しますからね。
壬申の乱
その頃都があった近江の朝廷軍(大友皇子)VS吉野にいた(大海人皇子)の戦い。
壬申の乱の原因も、天智天皇が進めた政策や、大友皇子への強引な皇位継承等が不満になっていたらしいです。
大友皇子自身も長男ではあるものの、側室の子らしかったので、周りから見てもどうかと思われたのかもしれません。
その上、天智天皇が崩御した年にはまだ24歳。
中々、影響力を発揮できなかったでしょう。
一方、天智天皇の弟である大海人皇子(後の天武天皇)は不満を持つ豪族達に支持されやすかった?
大海人皇子が、美濃(岐阜)、伊勢(三重)あたりの豪族の信頼を得た為、都と東国の連絡を絶つことができた。
これは全国に朝廷側の力を及ぼさせず、大きかったのかも。
兵力もほぼ同数に出来た事で、不利にならずに済んだ。
後は戦のやり方ですかね。
結局は、朝廷軍が大敗し、大友皇子も自殺して滅んでしまったのですから。
結局勝った大海人皇子が第40代の天皇になってますが、系譜を見るとその子供たちは天皇になれてせんね。
ここでも世襲されなかった。
特に息子の1人、大津皇子は謀反の疑いがかけられ、こちらでも自殺されてますし。
因果は巡るのか。
天智天皇の子も男は天皇になれてませんが、持統天皇と元明天皇は女帝として天皇になれています。
これは天武天皇の后(持統天皇)、草壁皇子の妃(元明天皇)とどちらも天武天皇側に嫁いでますね。
ここが面白い。
そして、天智天皇の孫の光仁天皇がようやく天皇になり、桓武天皇と続いている。
同じ先祖を持つのに、分かれてしまうといつの時代も騒乱のもとになってしまう人の歴史って興味深い。
スマイリー
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